くずの魚

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2がt ぬにシメジに音MAD

もう二月らしいです まだ2021年を一ヶ月も生きていないはずなのに おかしいおかしいおかしい 時がマッハ

 

ぬるめた一巻が、シメジシミュレーション二巻が発売されました 発売に際してなんかすごく嬉しくて浮かれてしまって調子に乗って短編を書いたんですが思ったより長くなってひいひい言ってます でもああいうラノベっぽいのを書けているのはいいことですね でも過去にあげた短編を読み返したらそっちの方が面白くて文章も良くてええ…ってなった どっちとも、細かい部分の詰めとか作品内のガジェットとかが甘くて、あんまり世に出せるようなもんじゃないんですが でもおれは世界で一番面白いラノベを書いてみせるので 待っててください 遂げろ
あと、いま書いている短編に出てくるキャラの名前がミトとナチアなんですがどう考えても終末旅行のチトとガレリアのナチルからきてるっぽいです イメージに合う名前を一時間くらい横になって考えていたんですが 全部全部パクリです 悪いことではない

ぬの一巻は本当に良くて、それはもう長々と感想を書きたいくらいなんですが、あの世界に対してよくわからないサブカル的なコミットをしていいのかどうかよくわからない かわいいとか四人の空気感が良いとかちあきさきな間の個人的なノリが本当に良いとか読んでいてマジで一緒になって笑えるとかくるみちゃんもえとかそういうことばかりを言うべきなのかもしれない
27日の0時を回ってすぐKindleで読んだんですが、その後紙の本が届いたときに表紙が本当に良すぎてめちゃくちゃびっくりした 楽しそうすぎる 四人が あんなに良い表紙がほかにありますか
青騎士で始まる連載も楽しみですね

シメジシミュレーションは、どうなんだろう わからなくなっている 二度ほど通しで読んだが もしかしたら、自分があまり好きではない方向に向かっているのかもしれない しじまもまじめも好きなんですが 読むたびに少女終末旅行のことを思い出してしまって、そういう文脈って違うだろと思うしだめなんですが、どうしてもやってしまう どうすればいいのだろう

 

 

あと、音MADの話があったりします

思えば一番音MADを見て聴いていたのは高校受験のころで、随分と懐かしい話ですが、結構覚えてたりします 音MADというのは動画の一本一本が短くて、さらにそれが音楽であり動画であるからにはとても過密である だから勉強の合間に見たりするのに結構向いていたのだと思う ゲーム実況なんかは長く、物語であることが多いので見てはいけない 音MADはそのあたりの温度感もちょうどよくて途中でぶった切ったりもできる まあ音MADじゃなくて知らんラジオの知らん会話を聞いていたりもしていたんですが

最近また音MADを見る機会が増えたのは、この前のMIXTAPEーラップ調音MADーがすごく良かったからです

www.nicovideo.jp

これです

これが良かったので何か音MADのことでも書きたいなと思ったんですがここではこういう感じのものではなくytpmvっぽいやつの話をします マジで何? いやここでいう「こういう感じのもの」もこれからする話で主題とするようなことの要素を含んでいるんですが
別に音MADやytpmv(この区分が理にかなっているのかどうかもわからない)に詳しいわけではないので、これからする話は本当にただの感想です

 

www.youtube.com

たとえば、こういったものを見て、聴いてみる

これを見て、すごく楽しかったりいい曲だなと思ったりすると同時に、異様な感動な覚えたりもする 特に強く感じるのは画面の良さである
それらはおそらく、素材化したキャラクターやその集合がつくるものなのだろうと思う

本来キャラクターと呼ばれるものの大部分は、彼らが属する文脈というものを背後に持つ 物語だ(日常系と呼ばれるような作品群が物語を持つかどうかはひとまず置く いや、本当は置いてはいけない しかし彼らが私たちが住むここではないある特定の世界に生息していることは確かだ)
たとえば、父親からの承認を求めずエヴァに乗らなかったシンジくんはかなりシンジくんであることを欠く それはシンジくんがエヴァに乗り父親からの承認を欲する(した)少年であるからで、このように、アニメや漫画においては行動が本人を強く規定する(「モノローグ」は少し特殊な位置にあるが)
こういうたとえもある パズドラが「がっこうぐらし!」とコラボレーションをしたとする ガチャの最高レア、それも一番の目玉としての丈槍由紀があなたの前に現れる 課金でもしてそれを引き、静止したキャラの画像がそこにあり、素材をつぎ込んで育てパーティに組み込んでいざ戦闘に繰り出す 土壇場で彼女のアイコンをタップすると『ねぇ、一緒に行こう。』とスキルが発動してすべてのドロップが一色になったりする 彼女はそうして竜や神や美少女に立ち向かっていく これは丈槍由紀ではないと強く感じる 少なくとも、ゾンビに目を瞑りやがてそれを乗り越えた彼女では そこに得も言われぬコラボのグロテスクさ(これがよかったり、悪かったりする)が生じる

ytpmvの話に戻る 多分、このコラボと似たような構造を経てytpmvにおいて物語から切り離されたキャラたちが画面上で大騒ぎするのが好きなのだと思う

ytpmv・音MADは、元となる音声・映像の一部分がキャプチャされそれらが繋ぎ合わされることでつくられる
彼らはそこでこのうえなく断片的になる そして遍在する 本来出さないはずの声に調整され読むはずのない歌詞を読みうっかりビンタをしたばっかりにドラムになったりする なにもビートを刻むためにビンタをしたのではない それは相手にダメージを与えるために行われたのだ だからその音声たちはキャラの画と本来ゼロ距離にあるのにすごく遠いような妙な結びつき方をしている 繋がっているのに繋がっていない
そして、断片化したキャラたちがばかげた混沌の中で自由に踊り狂う 文脈から物語から抜け出して背負うものなしに軽やかに あんなにも規則的に配置されているのにも関わらず そのギャップだ そのギャップに楽しいのかかなしいのかもよくわからずに涙がでてしまう 要領を得ないが、突き詰めるとこういうことなのだと思う
ytpmvの素材というのは極度に物語から切り離された断片たち*1で、あのキャラクターたちの間の距離も奏でる音との距離も無限に離れているというのに、それらがイリーガルな力でひとつになっている ひとつの画面でともに完璧に近い調和で それでもどこか無秩序に左右反転し飛び回り波打ち分裂しフェードイン/アウトする 彼らはアスペクト比の檻の中でどこまでも自由で楽しげだ こんなにすごいことってあるだろうか

だからあの画面はあんなにもたのしくて遠い 嬉しいのかさみしいのかよくわからないのにすごくいいものだなと思う 線の連なりではなく点の配置であるからいつでも切って小説を書くことができる
雑になりましたが、ytpmv・音MADは切り取ったものを再編集する試みだけれど上のような繋がれなさがおれは勝手に好きでとても楽しいですという話でした そしていつまでもときおり彼女たちが自由に歌い踊り続けることを願っています おれたちとは何の関係もない遠い場所で



*1:しかしむしろ、キャラクターが持つ物語を鑑みたうえで発生するおもしろさが音MADの良さに寄与している例があることも事実である。