くずの魚

感想 日記 夢 文章

週末歩行

長い行いはきっと長い文章になるだろう

 

土曜日だった その日は昼夜プロットを考え続けていた そこそこに調子が良く、夜中が近づき始めるころにはアイデアが立て続けに浮かびあがったりもして異常にハイな状態になったりしたものの、結局、ついには行き詰まってしまった これはよくないことだった
行き詰まってしまうと一カ所にとどまっていられなくなる 椅子から立ち上がり部屋の中をうろつき始めるに至る 普段なら気分が塞いだ場合は風呂にでも入って眠ってしまうのが最も良いのだがしかし、プロットのために考え続けることが今の私には必要だった そうしなければならなかったのだ だから、散歩に出かけようと思った
これはとても良い案に思えた 床に丸まった靴下をほどいて履き、椅子が羽織った上着をつかみ取って、財布とスマホをそれぞれポケットにしまい込んだ 思い出したようにBluetoothのイヤホンもポケットに放り込む 部屋を出るときに見やった時計は10時半頃を示していたように記憶している それは思考のための歩行だった

 

散歩にはいつも海に近づく方向と離れる方向がある 少し立ち止まり、最近海へと赴いたことを思い起こして海から離れる方向へと足を向ける 散歩の始まりというのは往々にして歩き慣れた道を行くことになる 傾斜の強い坂を下って何度もつかまった踏み切りを渡り、車が通ったら避けなくてはならない狭い道を歩く 工事中の橋を渡って川を越え、カーテン越しの明かりが静かにちらつく住宅街を抜ける 自宅から離れるごとに未知の割合は増えていく 知らない道を行くのはとても楽しいことだった けれどそれでは、なんだか楽しいというだけで何も考えることなどできないだろうと思った もう一度、川に行き当たる プロットについて考えるために、私は知らない道を選ぶことを考えるべきではなかった
私は川沿いをただ歩き続けることに決めた 川沿いを行けば、道を選ばずともしかるべき場所にたどり着くのだ

一口に川沿いと言っても道は様々だった 遊歩道のように整備されていて傍らにベンチなんかもある道もあれば、田んぼの畦のようなもの、車線を挟んでしか川沿いを歩けないものもあった 多くの道があれば多くの景色もある 何だかんだ写真を撮ったりもしていたあたり、結局移りゆく景色も楽しんでいたのだろう それでもある程度の思考はできたように思う 環境が変われば思考パターンも多少なりとも変化するようで、自宅ではたどり着かないようなところに考えが至ったりすることがある そのたびに立ち止まり、メモをする スマホの画面は見るたびにまぶしいなと思う メモを取り終わると夜に戻って、再び歩き出す

川についても考える 川を見るたびに、何かの拍子で落ちたとしても助かるのだろうかということを考え、連鎖的に水深と流速のことを考える おそらくは大して深くもなく大して速くもない 川は川であるというだけで危険ではあるが、危なすぎる川が市街地を通っているということはそうそうあることではないだろうと思う
川の流れが大して速くないということはあまり音がしないということでもあった 夜はもともと光に乏しくそして音もないとなれば川はいよいよ姿を失ってくる 本当にそれが流れているのかわからなくなってしまうのだ 希釈された生白い明かりがかろうじて川を照らすが、それは溝に白い霧が立ちこめているかのように見えた それは静止している 風に揺られる葉擦れの音だけが聞こえる
しかし、川にほど近い街灯が川面に巨大な蛍光灯を落とし込んでそれがさざめいているのを見ると川が流れていることがわかる あと一歩で落ちるだろうというところまで近づくときちんと音も聞き取れる 結局、川が流れていないということはないのだ

人とすれ違うことは全くなかったが、車通りは少しばかりあった 見える範囲でコンビニもいくつかあり、それらのほとんどがセブンイレブンだった 菓子を買おうとして小銭を出したところセルフレジだと言われ、セブンで見るのは初めてだったため面を食らった 歩きながら菓子を食べた 口の中が乾いた
橋の数を途中まで数えたりなどもしていたが、流石に多くなってきたので止めた 橋の用途はひとつきりだが見た目は多種多様で面白い よりシンプルなものが私にとっては好ましいようだった 橋の名前を確認したりなどもしていたが草書体のように崩して書かれているために判読できないものもあった

歩くほどの川幅が広くなり街の明かりは増えていった 絶対に人の通る道ではないだろうという浅い泥の道を行くと一際大きな川に合流した 川幅はこれまでの比ではなく対岸がとても遠かった この景色は良かった 橙色の街灯が水面に光線を落としている 黒と橙の組み合わせが好きなのだろうなと思う

随分と歩いてきた、とここで思う プロットのことを考える力もそろそろなくなりつつあった スマホを確認すると12時40分近くで、二時間ほどは歩いたことがわかる 川沿いを歩いてきたので帰るにもほとんど同じ時間がかかるだろうことが考えられ、更に終電などとうに過ぎていた 考えた末に川沿いをこのまま行った先の友人の家に行くのが良いだろうと思った 散歩はまだ続くようだった

ここでようやくイヤホンを使い始めた もうプロットについて考えることはできないだろうと思ったからだ 充電を怠っていたがきちんと動いてくれた 私はそれで少女終末旅行の劇伴とブルーハーブを聴いた
大きな街を通る大きな川というだけあって道は綺麗に整備されていた 昼などは気持ちよくランニングをしている人が見られるだろうなというような道だ 陸上競技場のような僅かに柔らかく弾力が感じられるあの感じだ
風がそこまで強くはなく雨が降らなかったことが救いではあったがそれでも夜は寒かった 温かいものでもと思い通りがかったコンビニに入る これもまたセブンイレブンだった 夜中特有のワンオペで店員は品出しやらで忙しそうだった 缶コーヒーを持ってレジに行く ここのレジはセルフではなく、レジにはなぜか未開封ポケモンカードのボックスがあった どうでもいいことだった
また川沿いの道に戻り少し歩いて、ベンチに座った たまには立ち止まるのも良いと思ったのだ 川と対岸を見ながら缶コーヒーを飲む ブラックの缶コーヒーはあまりコーヒーというような味がせず流れ込む温度だけが感じ取れる ベンチは冷たくぼんやりしているとせっかく買った体温を失ってしまうような気がして、飲み終わるとすぐにまた出発した 空き缶は上着のポケットに突っ込んだ

目的地付近まで来てようやく川沿いを離れる ここまでやってきたので何だか名残惜しい気持ちもあったが何せ寒いしもう休みたかった 歩くだけでもここまで疲れるものだろうかと思う 毎日運動をしていたころが本当に懐かしい
繁華街はたとえ店がやってなくとも十分に明るかった 単純に街灯の量が多いのだと思う 今まで生息していなかったはずの人間がちらほらと現れ始める 駅を通るといよいよ普通に人がいる 居酒屋は十分すぎるほどに明るい 笑い声だってする 起きているかと友人に聞くと、起きていた 本当にありがたいことだった これまたセブンに入りお土産にじゃがりこを買った もう知っている道だった この長い長い散歩はいよいよ終わるのだ
友人宅に着いた 時刻は三時に近かった エアコンの効いた室内がとても暖かい

疲れていたはずなのだが眠ることはできなかった カップ麺を食べ、友人と通話をして懐かしい写真を引っ張り出して懐かしい話をした それからゲームをして、始発は五時だったが結局八時の電車に乗った
四時間かけて来た道を20分で帰る それが妙に気持ち良かった 電車の中でTumblrに写真をあげる 相当数撮っていたような気がしていたが案外多くはなかった 20枚こっきりだった
最寄り駅で降りて家まで歩く 最後の歩行だった 街は明るく完璧に朝だった 見慣れた道を歩くのは速い 早いのか

家に着く 鍵を差し込んでひねるとがちゃりと音がしてもう完全に終わったことがわかる 手と顔を洗い水を一杯飲んで階段を上がり靴下を脱ぎ捨てて上着をもう一度椅子に羽織らせてやる シャワーを浴びることもなく布団に潜り込む プロットを考えるための行動としてこの歩行が正しかったのかどうかを考える まあまずまずだったのではないかと思う どうだろう わからない わからないが、悪い気分ではない 少なくとも楽しかった それだけがある そうして目をつむる 眠りに落ちるのがとても早い 意識がすぐに欠けてくる これはとてもいいことだった