くずの魚

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眠り

又日曜更新怠…

 

どうやら五月ももう終わるみたいです 何かやったかな~と思って振り返ると何もしていなくて、本当にただプロットを積み上げては崩して何も残っていないことだけがわかる 書かなければ、という焦りがついに生や死といったステージにまで引き上がってきた感覚があり、どうにかしないとねえという気持ちがある 書くほかないですが

 

 

ヤマノススメをなぜか見返しています 友人に好きな作品について話していたときにヤマノススメよかったなあみたいな思いがこみ上げてきていやマジでよかった、よかったなあ、そして再視聴、という流れ

これによって、フィクションによる神秘体験みたいなものを久しぶりに得た 具体的に言うと、ヤマノススメそれ自体がそうというわけでは全然ないのだが、おれというオタクにとってのフィクションのイデアを思い出す、みたいな瞬間があった
これは本当にスピリチュアルなことで、完全に感覚で書いている イデアという語を用いるのは多分全然正しくなくて、しかしぱっと思い浮かんだ言葉がこれだった それは純粋な願いのみでつくられたおれの魂そのものみたいなひとつの世界のビジョンで、というか、おそらくあらゆるフィクションへの願いそのものなのだと思う 自分で書いていてとんでもなく胡散臭い これは何もかも間違っている
幼い頃に何か物語を見たときの、おれが空想の世界の中に実際にそこにいた、みたいな感覚に近いのだがどこか違う フィクションが限りなくリアルっぽく立ち現れてくるのではない フィクションとリアルは違うし、フィクションがリアルに墜ちてくることは絶対にない しかしそのイデアは限りなくおれの近くに感じられて、それはだから、おれというリアルがフィクションにぴったりとくっついて離れていかないのだ なんかちがう
起こった事実だけを書くと、その願いは、フィクションに対する願いにあるはずの、というかあらゆる形の願いすべてが持ちうるはずの負の側面、かなっていないという状態の焦燥や苦痛の類いが一切なかった 願うことそれ自体によって救済されるような類いの願い 眠りのような願い まったくの作り物だとわかっているが故に成立する何か そんな感じだった とにかくおれはひとつの世界を空想したし、それによって救われるような思いをした それだけがある
多分、フィクションを思い描くという行いはかなり美しくて、それを再認識した…みたいな感じだろうか それは最初からかなわないことがわかっている願いの話なんでしょう なんだこの文章 フィクションにしがみついて浮かれてしまっている 全然うまく言語化できた感覚がなくて、だめだ 行き当たりばったりで日記を書くといつもこうなってしまう
特定の物語やそれを背負った人物ではなくフィクション世界の存在に救われるみたいなことがあるじゃないですか あれです 他者の存在そのものに救われるみたいな感覚に近いような気がします よくわかりませんが

 

 

あとはベルセルクを読んだりなどしています
「唯一人お前だけが」のくだりは本当に良いのですが、つかれてしまったので、やめます

 

さっきまで書いていたこと全部、フィクションへの根拠のないわくわく感みたいなもので、それ以外に言いようがない気がしてきた うおおおおお最高最高!!!みたいな 結局は、フィクションに関わることの喜びをひさしぶりに思い出すという話でした

六月、頑張っていきましょう