くずの魚

感想 日記 夢 文章

絶え間ない新劇

今週は進撃の巨人を最新話まで読むなどしました あとは最終話をのこすのみです たのしみですね

めちゃめちゃ適当な気分なので、めちゃくちゃ適当に感想などごちゃっと なんかもっと雑に文章を書くべきという気がしてきた タイポなどすごく放置したい して~ 今回読んだのは27巻-最新話なのでそのあたりの感想だけ

 

何というか、すべてのキャラクターに関して物語の始まりから終わりまでを描き切ってやろうという感覚が強すぎる

お前が始めた物語だろとグリシャイェーガーにやけに物語が背負わされているような描写があるがもちろんそんなことはなく物語はすべての人間が持っている 進撃におけるキーワードのひとつに自由を挙げて異を唱える人はそんなにいないだろうが、エレンはミカサやアルミンに自由を告げて、グリシャにそうしたように信念の限り物語を全うすることを要求する 物語とは願いに近い かなう/かなわないが二者択一の終わりとして用意されている エレンは戦えと言う 戦いにおける勝敗はそのまま目的の達成/非達成であり少なくとも一方の物語の(ひとまずの)終わりを意味する そして戦いを選択できる権利こそが自由だとエレンは言う

とここで物語を全うすることが自由なのかというと多分全然そんなことはなく、全然そんなことはないというか、別に自由もクソもなくねという感じがする 道でつながっている彼らは自由たりえない

エレンが殺られる側から殺る側になるとともにエレンの言う自由も変化しており、巨人に抑圧された壁の内側からの脱出(抑圧は自由を脅かすためあってはならない)というレベルから曲げられない信念が互いにあるなら衝突するしかないよね(他者を抑圧することもまた自由)というレベルに移行している(とはいえうっとうしい壁のないまっさらな大地=地ならしを見て自由だと喜んでいるところを見ると根っこは変わっていない気もする 被害者倫理のようなものがすっぽりと抜け落ちているだけで)

 

なにが言いたいのかわからなくなってきた もう思ってることを断片的に書いていこう ここからは人間は物語であるというおれの立場が強く反映されている

ジークがキャッチボールしてるだけでよかったと言うのはマジですごくて、ここまで物語すぎる物語をやってきた進撃の巨人という漫画のラストの方であれを言ってのけるのはすごい どうすごいのか書こうとしたら書けなかった うう

エレンの自由はつながりの持たなさでもあって、だからエレンは単独で世界を滅ぼそうとしているしミカサたちは協力して世界を救おうとするしミカサは自由になれというエレンの言うことを聞かずにマフラーを巻く マフラーは常につながりの象徴であったしそれを巻きながらミカサはエレンを殺した 自由にならないことをミカサは選択したのだ エレンを殺しつつも私達の家に帰りたいと願うことこれはまったく矛盾しない

あとなにかあったか 森から出ようとし続けるんだというくだりがあったがあれはよかった 物語は終わるまでマジで終わることがなく人間が物語でしかあり得ないからには願い続けるしかない エレンは完全な到達点としての自由を求めていたが到達点などなく、結局はまだ僕らが知らない壁の向こう側があるはずだと信じるしかないのだ

 

進撃の巨人における物語の話をしているはずだった

この作品においてひとつの願いのかなう/かなわないが物語の終わり=死と対応しているという意識は強くだからこそ目的をもってそれを完遂しようとした人間同士が衝突し必ず一方が敗れることで物語の始まりから終わりまでがきっちりと描かれている ここにはまた物語を託すという願いの継続可能性も示されているような気もしたがそれはまあ今はよい

その物語の始まりと終わりを明確にしているからこそそこへのカウンターとしてのアルミンのなんでもない一瞬のために生まれてきたんじゃないか…という発言が効いてくる たったひとつの終わりのための始まりではなく繰り返し繰り返し訪れる幸福で無意味な瞬間に始まりの意味づけをすることでつねに絶え間ない今であり続ける自己を生き続けるしかない 物語を反復/生成していくしかない というかそうでしかない ある過去とある未来の結びつきでしかない生があってたまるか エレンの言う自由は不可避の不自由さの傍証であるが、もし代わる自由があるのだとしたらこのつねに変化する物語がそうなのだろう つねに反復/生成され変容する絶え間ない願いの連続であるところの物語、であるところの人間……進撃を読んでそんなことを考えていた なんじゃそれという感じですが これが今のおれの願いということなのでしょう

 

怪文書になってしまった 思っていたことを少しだけ言語化できたような気がするのでよしとします

 

 

最終話が楽しみですね とそれだけです

進撃の巨人という物語はもちろんここで終わります まだ終わっていないとき何度もバチおもろいやんというところがありました そういうことなのだと思います