くずの魚

感想 日記 夢 文章

美味

何もする(できる)ことがないと買い物をするようになってしまった 物ばかりが増えていく 駿河屋で原田たけひとさんの本を買いあさっている

 

最近は父の誕生日にチーズケーキを送ったりなどしました ルタオです あの北海道の美味いやつです なんか形に残るようなものを送るのが得意ではなくていつも食べ物を送っていますがその度に父の好物ってなんだろうと考えてしまう 母は結構簡単に思いついてそれはシチューであったりナポリタンであったりシュークリームであったりするわけですが父は本当に難しい そんなことを考えていたら嫌いなものは結構思いつくなということに気が付いてそれが割と自分と似通っていることにも気が付いてそういえば父とは食の趣味がかなり合っていたことを思い起こしたりした というわけでルタオのチーズケーキです あれ友人がお土産で買ってきてくれてめちゃ美味しかったので 父も美味しいと思ってくれているはずです ルタオのチーズケーキマジ美味しいので皆さんもぜひ……

あと最近はほとんど毎日夢を見ています 眠りが浅いので そして眠りが浅いために起きがけが眠すぎて夢をメモにとるということをしていない 正直起きてすぐPCを起動しよく開いていない目をこすりながら口の渇きを耐えキーボードを叩いて文脈に書けた文章をつらつらつらつら…というのはかなり厳しいことなのかもしれない
家族の夢を見ることが多く、何やら傾向も見えてきたのでそれについて書こうと思ったがこれは本当に個人的なことだし何より自分が書きたくないのでやめておくことにした

 

では感想

RWBYを見ました 1~3まで 中々おもしろいです
やはりテーマの中核を担っているのは「信頼」という馴染みの深いワードです ワイスがホワイトファング全体への認識を安易に改めずとも元ホワイトファングのブレイクに関しては仲間であり付き合いもあるが故にごく個人的に特例として気にしないことにしてひとまずは不和の解決を試みるあたりや、トーナメントにてヤンが対戦相手に怪我を負わせたことを皮切りとしてハンターへの不信感・恐怖が募ったことでグリムが集まってしまったあたりは本当にそう グリムはほとんど人々が抱く恐怖の象徴として機能しています あとは感情は力になるが振り回されるなという台詞も自分自身を信頼することを割と示唆します 意志による脈絡のない不運と運命的な幸運みたいな描写もあったんですがこのへんに関しては正直よくわからなかったです
3Dモデルによるアニメでアクションとかは見ていて楽しい 見ていると懐かしい気持ちになり、理想とする雰囲気を描きたいがための真っ当なファンタジーってやっぱり今は少なくなったのかななんて思ったりもします

舞城王太郎熊の場所読みました 短編集です 熊の場所、バット男、ピコーン!が収録されています
三作とも結構似たようなことを言っていてもちろんある程度の差異はあれどそれぞれの画角を持っている感じがしました それは恐怖を消し去ることであったり自分ではないところに追いやることであったり清算することであったりした こういった(大体)ひとつの事柄について明確な解答が得られないことはもちろん織り込んだうえで再戦に挑み続けること(もちろん毎回KO勝利を狙っている)がやっぱりいいなと思う
まあバット男とピコーン!に関しては手癖というか惰性の筆致で書いていないか?とちょっと思ってしまったけれども

羅小黒戦記を見ました シアターに三人しかいなくてわろたと思っていたら後から二人くらい入ってきました 大体皆まるっこくて可愛いが狐?の女の子みたいなのが一番可愛かった
「ぼくが選ぶ未来」のパンチラインの通りそんな感じの話でした 主人公であるシャオヘイたちが対立していたのは人間に奪われた故郷を奪還せんとするフーシーたちです そしてこれはありきたりですがシャオヘイたちは人間と妖精がともに歩めることを主張する
まずテーマとして打ち出されたのはシャオヘイの居場所がどこにあるかということで、それは自分が帰属しえる自分以外のどこかのことを指す 最初シャオヘイの居場所であった森は人間の開発によって無残にも壊されてしまう そしてこの奪われた居場所を取り戻そうとするのがフーシーであり、シャオヘイは当然そんなフーシーに懐くことになる 何だか長くなりそうなのでめんどくさいので言ってしまうと、シャオヘイはフーシーからの強制を乗り越えるし、そして最終的に勝利したのはシャオヘイたちであり、「場所」(=故郷である森)との繋がりに強く依存しそのために他者の居場所までをも規定してしまうフーシーのイデオロギーに、人間と妖精の垣根を越えた「人」との繋がりを重視したイデオロギーが勝利したという感じ はじめにフーシーがシャオヘイを歓迎したのはシャオヘイが森を求める妖精だったからであり(というかシャオヘイの力を利用するために歓迎したのだが)、そうでなければフーシーははじめからシャオヘイの敵になっていた またフーシーが目的のために仲間であるはずの妖精から力を無理矢理に奪っていたことも、フーシーの場所による居場所の規定が他者を強制的に巻き込むものであることをよく表している 対して勝利したシャオヘイのイデオロギーで大切なのは「場所に依存しない」ことと「自分で決定する(ぼくが選ぶ未来!)」ことで、それはシャオヘイが人間界で妖精が集まる場所である館に住むのではなくムゲンについていくこと選択したことや、その選択が真に開かれたものであったことが表象している(館に着いたときムゲンはシャオヘイに別れを告げるが、シャオヘイがムゲンについていきたいと言うと簡単にこれを受け入れる) 融通のきく人との繋がりを居場所とするか、世界の今の形の中で認められている居場所(妖精は森に引っ込むか館に甘んじて妖精たちとの繋がりを選択する)を受け入れるしかない シャオヘイは人間社会の中で妖精であることを隠す必要があるし、他の妖精は館に引きこもるしかない そういった抑圧を誰しもが受け入れている中でフーシーだけはすべての抑圧を撥ねのけようとしたために上手くいかなかった 大体はこんな感じで、未来という表現はとても過去的なものである故郷と対置されるのかな~なんてぼんやり考えていたんですが大切な仲間との繋がりのみでは満足できず故郷という今はなき場所に固執した結果敗れてしまったフーシーを見て夢や過去を好んでいる自分としては少しさみしかったりもしました だから最後の最後まで抗ってビルに森を咲かせたフーシーがちょっぴり好きだったりします あと自分の中にのみあり自分の思いのままとなる霊界はやっぱり居場所はお前だけのものだしお前自身の思いのままだぜってことなんですかね
まあこんな感じでした 自然と文明の対立みたいな論点は羅小黒戦記においてはあまり意味がないしジブリでお腹いっぱいなのでいいです でもパワーバランスが明らかに崩れていて妖精側が圧倒的に優位に立ちさらには人間たちを救ってあげているという構図はちょっとどうなんだという感じはしました

 

なんか長々と書いてしまった 作品への温度差とかサブカル批評の妥当性とかによって炉とくずで書き分けようと思っていたけど全部こっちに書いてしまう これは最近評論めいたものからは少し距離をとっていることもあります やらなければいけないことがあるので 今度から炉に書くのはスクールアーキテクトの記事の時みたいに一作品一記事でまとめる時だけになると思います 多分それも当分先なのでしばらくはうその夢ばかり書くと思います その代わりくずの方があんまり適当にならないようにしなければ 適当に書くと文章の論理展開が崩れがちになってしまってよくない

普通に日記というか雑記みたいなものももっと書いていきたいですね